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家の掃除してたら
こんなの出てきました。
Perfumeからのサイン。
ジャイアンナイト出たがってる!
こんなときもあったんですねー笑
もうDJはじめて10年。
ジャイアンナイトというパーティーをやって10年。
芸歴は20年。
ちょうど半分なんですね。
10年目の年。
模索の中でたまたま知り合った新しいエンタメの形。
そこから大地さんがエアギターとってくれて。
でもDJってのは世にでなかった。
僕らも売れなかった。
世界一なったのに売れなかったの僕らだけだってよく言うんですけどね。
めちゃイケの新メンバーオーディションの手紙のとこでも言ったけど僕が嫉妬したんですよね。
小さい男なんです。僕は。
大地さんの邪魔したよなぁ。
そんときそんときで逃げてた。
後輩に威張り散らしたり
草野球に逃げたり。
それから
DJのイベントに逃げてたんでしょうね。
音楽の仕事をやろうと思ったのは
子どもができたからなんです。
食わせなきゃいけない。
そんな思いからでした。
もともと大好きだった音楽、でも仕事となるともっと深く掘り下げなきゃいけない。
勉強たくさんしました。
フェスはもうずっと好きで。
初期のライジングサンとかロッキンオンとかサマソニとかにコンビで行ってました。
フェスのオーディエンスと話すのも好きでね。
フェスの現場でこれからシーンを引っ張るバンドのアクトを目撃するのが好きで。
それはもう
事件じゃないですか。
マキシマム ザ ホルモンもサンボマスターもTHE BAWDIESとかもそういう目撃したと思ってます。
野外のフェスをやりたかったんです。
今でこそ芸人さんが仕切ったフェスやイベントたくさんありますが、当時はあんまりなくて。
チッタの木嶋さんだけが乗ってくれたんです。
ルミネ終わり、新宿の東口で待ち合わせして。
カレー食べながら、さぁプレゼンするぞって資料だして喋ろうと思ったら、やりましょって。
あっさり。
チッタでやりだして。
ライブ終わり物販コーナーで手売りする曽我部恵一さん見ながら、これだって思いました。
これこれ。これをやっていこうって。
こんな芸人が増えるはずだって。
そしたらその木嶋さんがサマソニのお笑いステージの制作をやってたんです。
学生なんかと。
そこから漫才やって、空いた時間、椅子自分らで片付けてのDJが始まって。
お笑いが全然でしたから。
そういうフェスでの一つ一つが嬉しくて。
芸人続けれるなぁって思って。
ジャパンフェスでのDJが評判なってきて。
クラブチッタでDRF、すなわちダイノジロックフェスってのもやりだして。
それが結構お客さん来てくれたんです。
調子づいて14日連続とかやって。
前代未聞、空前絶後。
そんなことに酔いしれてました。
小さな規模なのにね。
内容は全部よかったなぁ。
毎回よかった。
そんな中で8年前、静岡清水でイベントやりたいって人がいて、その方とフェスやろうってなったんですよね。
チッタとサマソニのクリエイティブマン、そしてその人の3組の主催。
僕らも加えて。
僕が冗談みたいな感じでつけたマグロックって名前が採用されて。
めちゃくちゃいいメンバーで。
大好きなバンド集めて。理想的でした。
内容も最高。
何度も感極まって。
ところが動員が思ったほどじゃなかった。東京ではすごい動員のバンドも、地方だとなかなか厳しいのかなって思いました。
でもすぐに分かった。
僕らなんだって。
甘かったんだと。
告知の甘さ。
ポスターのデザインも地元の人に頼んで、本番まで会場にも行ってなかった。
なんとかなるだろ?そう思ってました。
熱よりも野外でできる!ってだけで浮ついてた。
導線や楽屋周りのケア。
いちいち抜けてる。
飲食もほとんどなし。
地元の人に協力をお願いしたりそもそも現地で触れ合ったりも皆無。
ライブが終わって、後ろでスタッフ青ざめてる。
大地は酔いつぶれてた。
僕も涙こらえてバンドマンに拍手送って。
酔ってた。
自分に。
夢だった野外フェス、その成功をかみしめていた。
みんな楽しそうで。
そんときは
収支が大変なことになっていたことも知らずに。
後で僕も青ざめた。
嘘でしょ?って何度も聞いた。
音響にも徹底的にこだわってた。
だからこそバンドマンのみんなには最高のパフォーマンスやってもらえた自負がある。
そこも費用がかかった、沢山。
動員は予想してたのより3分の1にも満たないものだった。
スポンサーなんかもつけてなかった。
非力で目をつぶってやってたこと、自分のメッキが剥がれた。
アーティスト
バンドまかせ。
また清水のイベントやりたい人が担当したもう一日が更に厳しい動員で。
それも含めて
精算したら借金だけが残った。
マグロック終わりから降り出した雨を目で追いながら確信した。
一生野外フェスはできないだろうなって。
思った通り、ネットでは絶賛の嵐。
それが嬉しかった。
救いだった。
お客さんの楽しんでる顔、熱い思いが嬉しかった。
恩返しできたと思った。
静岡は5年レギュラー番組をやらせてもらえてた思い出の街。
清水でお世話になったかたも沢山いる。
だからこそ
もう一度やってという声がつらかった。
僕ら売れてない芸人には金がない。
そんときになって思い知らされた
みんなに甘えて
みんなの力でやれただけだったんだって。
そっからは借金返すためにまた違うイベントを狭いライブハウスでコツコツやったりしてちょっとずつ返していった。
2010年
めちゃイケの新メンバーオーディション
あれなかったらどんな芸人人生でしたかねー。
転機でした。
あそこで嫉妬した、自分がダイノジの足を引っ張ってたと告白した。
本音だったんだろう。
そっからトークライブ山ほどやって、スタイルも変わって、ラジオやるようになってた。
もがいて。
いいバンド
いいアーティスト
今だって
たいした力にならないかもだけど
非力だけで
無力じゃない。
届けたいって思ってやってる。
更に東日本大震災。
いろんな思いに駆られた。
そこから辞める辞めると
言いつづけたDJ活動だったけど、
復興地に行くうちに、
これは一生やらなきゃだと気持ちが変わった。
どこかで誰かが待っている。
DJという武器。
漫才という武器。
エアギター演芸という武器。
目に見えないものをあると想定することで楽しむ芸。
高橋源一郎さんがおっしゃった。
戦争なんかエアでやればいいんだと。
自衛隊がそうじゃんって。
なんか目に見えないものがあるって想定することこそ、エンタメの本質だなって。
何もないものに意味をもたらす感じが優しいなって。
DJもそうでいいんだなって。
批評はいいけど
批評より熱だなって。
好きすぎて
なんかが見える。
あの感じ。
どうせサブカルとかにも片思いしてるんだから、コミニティ作るより、好きなものを好きだって思いを肯定していこうって。
ありかなしかとか判断するんでなく。
復興地でイベントやって、そこでなんかを発見してくれた人がいて。
そんときに他県から人が集まるのを見てこれだなと。
ちなみにこの映画のモデルになった人。
もう亡くなられたこの女性は
ジャイアンナイトの常連さんだったそうだ。
お客さんの中にも
当たり前だけど
いろんな物語がある。
それにちょっとでいいから触れてみたいと思い出した。
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彼女、このポスターもって来てくれた。
友達のこと映画になるんですって。
この子にジャイアンナイト連れてきてもらったって。
誇りじゃないか。
僕らがメシ食っていくために
最初はなんとなく始めた
この空間。
愛してくれてた人
愛してくれる人
いるじゃない。
そこにもいろんな思いがあって。
ここで繋がる。
村おこしをやりたいんだ。
そこにみんなに集まってもらう。
その熱さが派生していく感じ。
これやろうと。
これを徹底的にやろうと。
それこそ価値が増幅していくんですよ、目に見えない価値が。
やがて故郷大分で野外フェスできたらいいではないかと。
日本中でお祭りやって、村おこしやって、その街をいろんな方々に好きになってもらって。
きっかけとしてのダイノジ。
そのノウハウで復興のお手伝い、地元大分でのイベントに繋げていきたいなって。
腹決めた。
俺の残りの芸人人生これだって。
楽しいを作る。
地方でやる。
楽しいをやる。
何人かの人が集まる。
その熱が拡散する。
その街に人が来はじめる。
戦争は反対。
抵抗するなら楽しいで対抗。
狂気は楽しいをやる熱に転換。
景気が悪いなら
楽しいで対抗。
自殺や他殺に徹底的に対抗。
楽しいことでモノの見方の提案を。
正義と悪だけでない。
正義は沢山あって
それをなるだけ肯定していこう。
笑いにしていこう。
ユーモアをもって。
そう思ってなんとなくだけど方向が見え始めて。
いろんな仕事が増えてくるようになって。
静岡朝日放送さんのサマソニ特番で司会やって。
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その収録終わり
談笑してるとき
マグロックの話題がでて。
夢なんだと、野外フェスやるのがと。
そしたら担当の方が前のめりになったんですよね。
静岡でフェスやりたかったんだと。
ひょんなことから
降って湧いてきました
野外フェス話。
ビビってる場合じゃない。
まぁ、ビビるけどビビってる場合じゃない。
これは縁だ。
やれって声だ。
ないものに
見えないものを
そう都合よく解釈した。
タイミングね。
タイミングなんですよ、全て。
ミッションだって。
リベンジのときです。
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清水って街を好きになってほしい。
他県からも沢山来てほしい。
清水や静岡の皆様と触れ合いながら、可愛がってもらえるようはフェスをやろうと。
大好きなバンドやグループ
アーティストに出てもらう。
このコンセプトはそのまま。
大事なのは
僕らの思い
行動力。
それと熱ね。
清水にしんっていううどん屋さんがあります。
グルメ番組で知り合って、今も僕の自宅に手打ちのうどんを送ってくださいます。
ありがたくて泣けてきます。
ご縁があったと思ってる。
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勝ちたいですよ。
ズバリ。
勝つって今の僕にとってはまずは動員。
そして中身。
両方とも今まで到達できなかったK点越えしないとダメなんでしょうね。
届かなかったら。
そんときは諦めます。
自分にはそんな器じゃなかったんだなと。
諦めるしかない。
でも、今ならやれると信じてる。
見てきたもん。
いろんな奇跡と喜劇。
悔いは残したくない。
とにかく必死にやって
ワクワクを増大していきたい。
いつかでっかいのやれるようになって
堂々とPerfumeも呼びたいですよね 笑
覚えてましたよって。
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楽しいが溢れますように。
一生ドキドキしてたい。
ドキドキしにおいで。
静岡の清水へ。