映画ってのは、その時代に絶対に目撃しないと駄目なもんがあると思うんですね。
時代の歪みから生まれた必然と奇跡を内包したような一本。
僕の体験で言うとデビッド・リンチやコーエン兄弟やタランティーノを目撃したときかな。
彼らの作品を観て、なんかが変わる瞬間の目撃をしたなって思ったんです。
中国の文化大革命時代の一般人の生活を描いた田壮壮監督の『青い凧』もそう。
イランのマジット・マジティ監督の『運動靴と赤い金魚』も。
すなわち、世界はどうなんだ?ってこと。
世界の人々の日常は、
生きる環境はどうなんだと想像を巡らせるための、映画が一つのきっかけになるってことなんですね。
たとえフィクションでも、思いを巡らせるために目撃しなきゃいけない映画が必ず時代時代にあるのだと思う。
※上手く再生できない時はこちらから
『ディーパンの闘い』は正に、今を生きる全ての日本人に目撃して欲しい映画だった。
心が荒ぶった。
苦しくて切なくて胸が痛くなる映画だった。
妻と娘を殺されたカンボジアの兵士が、女と少女と疑似家族を装い、フランスに亡命する話。
生き抜くためにお互いを利用していた他人同士は、やがてゆっくりと邂逅していくのです。家族ごっこの始まりから。
その様はドラマティックというより、日常を丹念に描くうちに、心の揺れをフィルムが偶然収めてしまったような感じ。
ただその日常がとても非日常で苛烈なものなんだけどね。
女は子どもを育てたことがない。
少女は孤児で心を閉ざしている。
男、すなわち元兵士はただ生きるために家族を装う。
不器用なこの3人の姿に心が揺さぶられる。
他人同士がほんのちょっと、ほんの些細なことで、少しずつ心を寄せ合う様が愛おしい。
この三人は僕だ。
ふわふわとした日常で時に家族との距離感がわからなくなる現在の僕だ。
男は上手くいかない日常を振り払うように唄う。
その歌が胸に迫る。
ここ日本でリアルな家族をもってるあなたにも突きつけられるだろう。
家族ってなんだって。
社会とはなんだと。
新しい家族への思いを強める男だが、兵士であるが故に振り切ることができない鎖のような宿命が迫る。
こんな苛烈な環境を生き抜こうとしている人がこの空の下、世界のどこかにいるんだという現実を噛み締める。
この映画はサスペンスだが、どうしようもなく愛おしい家族の物語だ。
そういう意味ではフェリーニの『道』にも通ずる。
一本の映画はヒントだ。
これは僕らの映画なんだ。
すなわちこの時代に絶対に目撃しなきゃいけない映画なのだ。
この映画の結末は数多の悲しい結末の名作達とは少しばかり味わいが違う。
闘いの道を選び、わずかながらの幸せを獲得する戦士の顔がどうしようもなく優しくて僕は泣いた。
そう、泣きじゃくったんだ。